10・2トラテロルコの虐殺!40周年

1968年オリンピックを直前に控えたメキシコで、自由と民主化を目指す学生運動が民衆と呼号しながら最高潮に達した時、悲劇が起こった。

「1968年10月2日早朝、警察と軍の部隊はメキシコシティのトラテロルコ広場に集まった学生たちに発砲を開始した。この虐殺がメキシコの歴史を変えた。犠牲者は公式の発表で26人だが、300人を超えたとする報告もある。この事件では誰も罰せられていない。・・・メキシコにおける民主主義のもっとも重要な戦いとして、そして同時に国家犯罪として歴史に残っている。」
68年「トラテロルコ」忘れぬhttp://www.news.janjan.jp/world/0701/0701278942/1.php
この虐殺事件とその後の逮捕拘留によってメキシコの学生運動は恐怖の沈黙を強いられらた。そしてそれによって「平和の祭典」オリンピックが粛々と開催できたのである。一方でこの運動は後の様々に隆盛した社会運動の源流になったと強く評価されている。(現代メキシコ史の授業レジュメで書いてた)
今日はトラテラルコの虐殺から40周年の日にあたり、この10月2日を「忘れない」とメキシコ政府に抗議するデモがグアダラハラ大学からありました。自分も参加しようと授業が終わってすぐに中庭に向かうとデモが出発したばかりでなんとか中に入れました。150人ぐらいで出発したデモは途中でほかのキャンパスからの人間や、学生以外のグループと合流し総勢1000人近くに膨れ上がりました。自分はグアダラハラ大学の学生の隊列にいたのですが、トラメガが一切なく、デモのあちらこちらからコールがあがり、周りがそれに声を合わせる光景が繰り広げられました。独自の歌のようなコールを手拍子したり、前後左右から次々に独自コールが起こり、即興性とノリのよさはすごいな思いました。
主張も色々で、当然「10月2日」と誰かが叫んだら、「忘れるな」とレスをするコールガ中心ですが、レインボーの旗をもった学生が「同性愛嫌悪」反対といったり、サパティスタに連帯するコールがあったり、本当に多種多様でした。興味深かったのが農民(CAMPESINO)という言葉がコールにかなり入っていたことです。日本だと都市部のデモで農民に連帯するコールが入るのは中々ないのとは対照的です。あと教会の近くを通ったらかなり盛り上がってブーイングのコールをします。どんな政治的対抗関係があるかよく分かってないですが、京都でマクドナルドの近くを通ったときにブーイングするのと同じ感じです。
あとデモの横に機動隊が着くことが一切なく、広がれ、途中のソカロ周辺では全車線使えたのは最高でした。機動隊に監禁された感覚が一切ないので、デモの中で自由を強く意識し、解放的な気分を満喫しました。交通警察とか機動隊とかがデモを包囲することがいかにデモ行為をストレスフルにするかを確認できました。日本特有のサンドイッチ規制は政治的自由への重大な抑圧であり、これは何とか戦わないといけないなあと思いました。
デモでは多くの、授業が一緒だったり、飲んだことのある知り合いの学生がいて、うれしくなりました。京都に帰ったら学生がデモにいく文化をもっと作りたくなりました。
セントロの広場では4人ぐらいが演説して、ライブ演奏をしていました。高校生やパンクスがかなりきていて、深夜まで踊りまくってました。
家に帰ってテレビを見ると、被害者の家族等の粘り運動によって、トラテロルコの虐殺が国家犯罪として最近になってやっと認知されてきた影響もあって、特集番組をやっていたり、ニュースでもメキシコシティのデモが大きく取り上げられていました。シティでは凄い人数が集まったみたいで、デモの映像は若者が警察をけったり、棒でたたいたりする場面や、ブランドショップの店内を破壊したり、ショーウインドウにスプレーで落書きをする場面を流していて、だいぶグアダラハラと感じが違うなあという印象をうけました。





追伸 エレナ・ポニトウスカの「トラテロルコの夜」という詳細なルポタージュが日本で翻訳・発売されているそうなので興味のある人は読んでみてください。(自分は未読で読んでおけばよかったと後悔)
あとがきのオクタビオ・パスの文章はネットで読めます
http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2005/09/post_707.php
あと印象的な言葉の抜粋がネットに上がっていました。

残忍、野卑、憎悪、ありとあらゆる悪意に満ちた行動に支配されてしまった、トラテロルコのあの夜。あのときの驚愕と憤怒を正しく記録にとどめておく必要がある。
フランシスコ・マルティネス=デラベガ「我々の国はどこへ向かうのか」
『エル・ディア』紙 1968年10月8日

オリンピックを開催できるようにと学生が殺されているのなら、オリンピックなど行われない方がましだ。どんなオリンピックも、歴代のオリンピックを合わせても、学生一人の命には値しないのだから。
イタリア人陸上競技選手(第19回オリンピック大会イタリア代表選手メンバー)『オバシネス』紙、1968年10月3日

何もかも丹精こめて準備がなされた。巨額のお金が使われた。どんな細部も手抜きされることはなかった。各競技の入場券にも趣味のよさが光っている。案内板、パンフレットやプログラム、ポスター、エスコート役のスーツや広告、果ては風船に至るまでのでデザイン。各協議の実施時間の厳密さ、絶妙の運営組織、だからこそ残念でならないんです。第19回オリンピックが血に染まっていることが無念でなりません。
ベアトリス・コジェ=コルクエラ
(グラフィック・アート専門家・図案デザイナー)

映像は人を欺けないと思います・・・・私はニュース報道も写真も見ました・・・・
オクタビオ・パス

みんな死骸ですぜ・・・・
『エル・ディア紙記者、ホセ=アントニオ・デルカンポに対する、ある兵士の呟き
http://sachihoinny.blog.drecom.jp/monthly/200610/から転載